漫才=プレゼン

事件・事故・リポートでのたどたどしい記者のしゃべり。

 

しっかり原稿を書いているのだろうが、緊張からかうまく言葉が出て来ないケースが多々ある。

 

それは当然なのだ。

 

日本の教育では、自分の意見を言うという機会がほぼ無いから。

まして、多くの方に分かりやすく説明するということは皆無に近い。

 

人前でしゃべるということが苦手、と自慢げに?言う文化。

 

たしかに授業としてやられたら、評価と対になるので嫌だろう。

 

しかし、漫才という形なら、失敗しても人間性の否定や学業評価にはならないだろうから、かなりハードルは下がるだろう。

 

例えば、オレオレ詐欺被害に気をつけましょうという漫才・コントを敬老会でしたらどうだろう。

 

ただでさえ、孫とは疎遠な高齢者は若い人たちが来るだけで喜ぶだろう。

コロナが心配ならリモートということでできる現代。

 

学校というところは、新しいことをしようとするとまず否定から入るので、家庭で工夫したり、子どもたち自身で工夫するといい。

 

この自分たちでというところが、実は一番の課題なんだ。

 

誰かに言われて初めて動く体質になった人たちが多いから。

 

そういう意味では、お笑いを目指すということは、役者を目指すよりはハードルが低いし??、少なくとも人前でしゃべるという経験は、後々どこへ行っても役に立つ。

 

説得するより納得してもらう。さらにお笑いが入ればより受け入れやすい。

 

ドラ1の才能ある選手が、なかなか期待通りに成長しない原因の中には、自分で考える・発信する力がないからかもしれない。

 

言われた通りの練習だけでは、才能の集まりであるプロでは平凡になってしまう。

 

高校生駅伝で優勝すると必ず文句が出る留学生。

アフリカだから強い~全員が才能ある訳じゃない。国名も言えないのは失礼。

日本語もしゃべれないのに~高校で教えないのか、クラブで会話しないのか。

日本人だけで競争しろ~ハーフの子や帰化した子はどうなる??

 

純粋な日本人とは、なんだ。~駅伝というスポーツ競技ではないのか。

              国威を発揚する軍の方針ですか。

 

黙って司会の言うまま進行する会議。

意見を言っても、誰も賛同はしない。

では、後は会長に一任ということで。

 

問題があってもスルー、発覚すれば部下が責任、現場が責任。

 

勇気を出して意見すれば、丸投げされて援助なし。

失敗したら左遷・降格。退社。

 

知事が無能を棚上げして、国がリーダーシップをと言う。

 

国は知事に丸投げ。

国民に丸投げ。

 

国会承認不要の予備費からお友達に丸投げ。

失敗したら省庁の責任。

 

責任を身に着ける。

 

発表・うける・納得・賛同・応援。

 

漫才は人を救うかもしれない、自分自身を救うかもしれない。

 

笑われることを恐れることは無くなるだろう。

 

演芸って、人の生きる道の広さを見せる場かもしれない。

 

しゃべりが下手な政治家は、本当は無能になるはずが、陰でこそこそ策略に長けたものが成り上がるという不思議な業界。

 

そして、用が済んだら、簡単に首が挿げ替えられる世界。

 

政界はそれでいいかもしれないが、混乱する現場はたまったものじゃない。

 

しかし、この国では、現場はいつも我慢している。

 

それが生き残るコツのように。

 

 

血を流さない。

 

それがこの国の民の知恵????

 

生き残れば、時代が変わる。