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その事例は異常に反応が早かった。

 

幼少期から青年期にかけて父に大変お世話になり、義兄弟だと思っているという人物が接触してきて、離れなくなった。

 

父の葬儀から。

 

その人物は、今では東京で成功して社長となり、羽振りの良さを吹聴しているが、良家の娘と駆け落ちして怪しい商売や喫茶店などやっていた。

その過程では、親戚に借金もありで、嫌われている人物だった。

ゆえに、田舎へ帰って来ても誰も相手にしてくれないので、父の子どもに接近してきたのだ。

 

最初は適当にあしらっていたが、次男の大学受験と芸能界進出の話をすると、自分が手助けするといいだした。

芸能界はやはりだめだし、大学も当然だめだ。

しかし、住むところは、学生専用マンションの全国展開会社の顧問という肩書から、合格発表前に一度も上京せずに決まった。

これは、上京費用も手間も省けてかなり助かった。

なにしろ、妻一人の稼ぎで県外の大学へ二人というのはキツイ、ギリギリだったから。

 

格通知を受けて状況する時は、駅のホームまで迎えに来る熱の入れよう。

初めて乗る外車に緊張して、トイレが近くなり親子ともども焦った。

 

不動産会社へは、同郷の友達だという元警視庁課長というこれまた顧問の方が案内して下さった。(なるほど、こうやって偉い人は天下り先があるのか。と納得。)

 

親子で学生マンション契約・下見を済ませ、大学学費も納入して、帰路についた時、私の残金は1万切っていた。カードの借り入れも限界スレスレ。

 

本当に綱渡りな一日だった。

 

訃報は、2週間後だった。

親戚から、伝え聞いた。

朝起きたら死んでいた。

 

明後日には、荷物を積んで引っ越し・上京予定だった。

 

正直、ホッとした。

これから毎日・毎年、いつ電話がかかって来るか心配しなくて済むから。

 

一生、頭が上がらない状況になるところだったのだ。

 

東京の自宅へ行き、仏前へ座っても、悲しさはこみ上げるはずもなく、良家のお嬢さんだった面影十分の奥さんと、若く見える美人の娘さんと楽しく会話した。

当然妻からは怒られた。

 

しかし、本当に厄介な方から早期に開放されて、嬉しさが勝っていたのだ。

 

人の死が、嬉しいと思ったのは、この時だけだ。

 

一体、何人、人が死んでいくのか、まだまだ気にもしていなかった。