まさかの一手。
常識に凝り固まっている凡人には思いついても指せない一手。
3月1日は多く高校が卒業式。
授業なんて1月~2月は無いも等しい。
大学受験に備えて、またインフルエンザ感染予防で登校なんてしないものだ。
ましてや、今季はコロナ感染予防で自宅推奨。
なのに1月に自主退学していた、なんて。
彼ほどの学力なら黙っていても卒業は自動的だったろうに。
なぜ、退学を選ぶ???
考えられるのは、東京将棋会館の近くへ住みたい。
あの村山聖九段が上京したように。
傍からみたら溢れる才能で心配は無いように見えても、本人的にはもどかしい思いなのかもしれない。
何故なら、名人に挑戦にはまだ上の階級へ昇進しなくてはいけない。
一つの負けで、時間が浪費され、遠のくから。
先の難しい対局を脅威の粘りで大逆転したのは、そういう覚悟だったのかしれない。
時間が無い。
もっと将棋に100%向き合いたい、という切望。
名人挑戦できるのはA級だけで、そこでトップにならないと挑戦権さえ手に出来ない。
本当に時間が惜しい。
今の将棋界は急速に若手が伸びて来ているので、足踏みしていたら1年が無駄になる。
村山九段は病気でしたが、不摂生もあって寿命を縮めた感がある。
将棋にはあまり興味がなかった私は、漫画になって初めて知った。
つまり、亡くなってからだ。
(同じ郷土の新手一生の升田幸を知ったのはその後だった。)
もしかしたら、コロナ感染を恐れているのかもしれない。
後遺症があるという報告が多々。
頭フル回転どころか、素人には想像も出来ない深海への旅。
我々にはまさか、あと少しなのにという一手だが、彼には遅すぎたという思いかもしれない。
事実、ほんの少しの偶然で、昇進が1年遅れたのだから。
聖の青春を観たら、ますます、時間が無い。
そう思うだろう。
才能があるということは、残酷なことかもしれない。
それを最大限に活かすのは、とても限られた道だから。
私の年代だと羽生さんや谷川さんがまだまだ現役で活躍されているのが嬉しいのだが。
ライバルと言われる人がいないことも焦りかな。
一人旅だから。
羽生さんは、村山さんがいなくなった喪失感は大きかったろうな。
7冠制覇も、最強のライバルが亡くなったわけだから。
思えば、あの時、阪神淡路の震災があったのだ。
そして、村山さんの後輩が亡くなった。
1995年(平成7年)1月17日。
あれから26年経ったのか。
東北大震災、2011年(平成23年)3月11日から10年だ。
未来は、1時間後でさえ、わからない。