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進学校へ進んだ先輩の実家へ手紙を書いたら、寮の住所から返事が来た。
え、いいの?
女子寮へ手紙送っても?
やはりそこは躊躇する。
迷惑がかかることは容易に想像できるから。
しかも、彼女の父親は国の出先機関の公務員だから。
こんな田舎から、バスで1時間かけて通勤するから、異次元の人という感じだった。
それが証明されたのは、彼女の2歳上の兄が京大合格したという話を聞いた時。
県北の進学高とはいっても、そこは県庁所在地の有名私立とは格が違う。
凄いね。京大か。
でも、一浪なんですよ。
それでも、そうそう入れるもんじゃないから。やっぱり、凄いなあ。
私はまだ高校二年で、受験なんて気にもしていないのんきな生活だった。
彼女の高校の次になる高校だが、地理的・街的にも少し田舎感があるのんびした校風だった。
Mさんは、どこを受けるの?
うん、一応、東京の大学が第一志望なんだけど。
難しいかも。
やっぱり、早稲田や慶應?
うん。
へえ、凄いなあ。
受けるだけよ。
それでも凄いよ。
N君はどうするの?
うーーん。まだ、全然考えていない。
一年後、彼女は慶應へ進んだ。
それなのに、冬に帰省した時は、町内のイベントに出ている私に会いに来てくれた。
どう、大学は?
コーラス部に入ったの。
へえ、じゃ、ソプラノ?
え、どうしてわかるの!!
わかるよ。
と、ここまではいい雰囲気だったが。
所詮、東京の慶應ガールと田舎の高3では無理が明白。
気持ちは切れた。
身近なクール・ビューテイーが気になりだした。
大学進学で県庁所在地へ出てきて、そんな彼女と接点が出来たのに。
あの時、私に会いに来たのは、辞める相談ではなく、別れを誰かに言いたかったからかもしれない。
今となっては、そういう気がする。
そして、深くかかわらなくて良かったという安堵を恥じた。
彼女の死を知ったのは、その年の年末、高校所在地の大型店で同級生に出会った時だ。
私の両親が近くにいたので、詳しくは聞き返さなかった。
さもありなん、という顔だった。
不幸な家庭というのは、地元連中ほどよく知られていたことだったようだ。
私の家も、決して普通ではなかったが。
私はつくづく思った。
返信を書かなくて良かった。
電話で良かったと。
何かの拍子に、私と彼女が結び付けられたら、厄介なことになったろうと。
これが、トラウマになって、大学時代は深く付き合うことは躊躇した4年だった。
十分にチャンスはあったが。
そこに潜む危険は、嵌らなければわからないから。