柿の実がゼロ。
こうなることは予想してたが、本当に一個も成らなかった。
高枝ばさみは壊れたままだし、脚立に登るのはだんだん億劫になってきたので、何もしなくていい高さにしようと、かなり枝を切ったのだ。
ところが春先から太い枝のあちこちから上へ上へと小さな枝が伸びる伸びる。
結局夏頃には、いつも通り陽射しを遮る葉っぱの塊が出来た。
そして秋になると色づき落葉する。
これが厄介。
毎日夕方片付けてはいるが・・・・
根本的に何かいい方法はないものか。
落葉は老体には年々面倒になるばかり。
今年の冬は、何もしないで来年の成果を見て考えようか。
それとも、実は諦めて、また枝を切ろうか。
ネットの剪定情報は、実をつける方に意味を置いているので、葉っぱの管理には参考にならない。
これが山奥の一軒家ならまったく問題ないが、落ち葉が燐家へ飛ぶような密接した住宅地では、そもそも木を植えることが問題になる。
人間社会は、結局、人の感情なんだよね。
恨み・妬み。
隣の車が、自分のところより高いと悔しいという感情。
旦那は気にしなくても、女性は気にするみたい。
いやいや、旦那も気にはするが、それは自分の甲斐性だから。
言えば藪蛇。
庶民でもこういう感じなのだから、高学歴・高収入世帯の地域では、さらに妬み・恨みは深く・強くなりそう。
怖いねえ、世間は。