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「お化け」当たり。

 

パチンコのシステム?を知らなかった。

 

大学に入ってから同級生が、さも当然という感じで店に入り、勝つと特殊景品に替えて路地裏へ。

 

え?換金できるの?いいの??

 

本格的にするようになったのは夏を過ぎてからだった。

夏休みに帰省した折に、原付で大学寮まで走った。2時間。遠かったよ。

 

それからは、バイトするのが楽になり、遊ぶお金は出来た。

当時は、まだまだかわいいもので、羽根モノが好きだった。

500円で十分遊べて、出玉は小さい箱で2,000円くらいだったろうか。

 

まだまだ場末の・・・・という感じもあって、それほど入りびたる感じではなかった。

 

結婚してからかな。

彼女の勤務が終わるのを待つ暇つぶしに、病院近くの店で打ちながら待っていた。

 

勤務明け休日にドライブへ行くというパターン。

そのころもまだ深入りしてなかったな。

 

やがて、機械の方が過激になって、当たりが出ると3万という時代へ。

お化けの台だったかな。偶然当たりが続いてしまった。

そうなると、ドライブどころじゃない。

積み上がる箱に酔いしれる時代へ突入。

 

仕事のストレス高まった時期。

 

業界紙に1千万プレイヤー誕生と、話題になるくらいの過熱だった。

 

働くなくても食えて遊べるという、髪結いの亭主状態。

 

まだまだ、お祭り状態だった。