~13
「お化け」当たり。
パチンコのシステム?を知らなかった。
大学に入ってから同級生が、さも当然という感じで店に入り、勝つと特殊景品に替えて路地裏へ。
え?換金できるの?いいの??
本格的にするようになったのは夏を過ぎてからだった。
夏休みに帰省した折に、原付で大学寮まで走った。2時間。遠かったよ。
それからは、バイトするのが楽になり、遊ぶお金は出来た。
当時は、まだまだかわいいもので、羽根モノが好きだった。
500円で十分遊べて、出玉は小さい箱で2,000円くらいだったろうか。
まだまだ場末の・・・・という感じもあって、それほど入りびたる感じではなかった。
結婚してからかな。
彼女の勤務が終わるのを待つ暇つぶしに、病院近くの店で打ちながら待っていた。
勤務明け休日にドライブへ行くというパターン。
そのころもまだ深入りしてなかったな。
やがて、機械の方が過激になって、当たりが出ると3万という時代へ。
お化けの台だったかな。偶然当たりが続いてしまった。
そうなると、ドライブどころじゃない。
積み上がる箱に酔いしれる時代へ突入。
仕事のストレス高まった時期。
業界紙に1千万プレイヤー誕生と、話題になるくらいの過熱だった。
働くなくても食えて遊べるという、髪結いの亭主状態。
まだまだ、お祭り状態だった。