いわゆる大御所たちも古くなった気がする。
おしゃべりが過ぎる方は、もともと好きなタイプではないし、どつき合いも嫌いだし、
したがって番組は見ない。
そう、嫌なら観なくて済むのがTV。
その他にも新聞もそう。
ネットも同じ。
今はさかんに取り上げられているが、他人に流されることや膨大なウソ情報にウンザリしてきたら、やはり距離を置くようになるのでは。
ガラケーが2026年3月31日までという記事が、そのまま真実となるならば、あと5年。
まったくかかって来ないものに月2000円でも、払うのはもったいない。
新聞は月3000円、こちらは、猫や生ごみ用にストックをキープして、年が代わったら中止しようかと思う。
たぶん、計算上は5年持つはず。
誕生日が来れば年金申請するわけだが、審査>>決定通知>>振り込みという流れで、実際お金が口座に振り込まれるのは7月~8月になるという記事。
さしあたっては使う予定はなく、こちらも貯めて近い将来に備える。
というのも、築31年目の家は、台風が来る度ヒヤヒヤだし。
床下の湿気も換気扇で延命しているだけで、故障したらまた金がかかります。
(持って10年がいいところ)
ひええ、その時にまた大金がいる。
ということで、余命とか家の住み加減(我慢できるかどうか)で、金をかけるかどうかのせめぎ合いが生じるだろう。
でも、その時自分が、生きているか、ボケていないかは、未確定。
他人のことを老人になったなあ、という自分も老人になっていくわけで。
なかなか自分のことは見れないものです。
そもそも、鏡に映った時点で虚像ですものね。
鏡を見ながら、右手・左手で顔を触ると難しさがわかる、不思議。
あれほどバカにしている週刊誌は、老後特集ばかりしているね。
あれが良くない、これもよくない。
新聞の表紙だけでも、うっすら影響される自分。
何が自分にとって正解なんだろう。
そうすると、怖くて何も動けない。
変わらない方が安心できる。
いわゆる老害とは、こういう心理の延長なんだろうか。
一人で良かったと、つくづく思う。
誰かがいたら、それを鏡として、自分の老化や頑固さや嫌な面を見ることになり、みじめになるだろう。
自分を直視しない。
それもいいかも。
それにしても、選挙公報に載る候補者のつまらなさ。
酷い。
千葉を笑えない。
小学校レベルというと、失礼だと怒られそうな、低レベル。
本当に、投票に行きたくなくなるメンツ。
これなら、官邸から金を引っ張られるあのポチ夫婦の方が役に立ったかも。
あの1億5千万円はどこへ行ったのでしょう。
80爺さんは言いました。
そんな、はした金のことは知りません。